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喜多方市は国県市指定の文化財の宝庫でもあり、特に熊野神社長床、会津大仏が有名です。喜多方で史跡めぐりをしてみませんか?
太用寺
太用寺釈迦堂には東北に三例しかない貴重な清凉寺式釈迦像があり、国重要美術品・県重要文化財の指定を受けている。この寺はもと幾つもの僧房を持つ大きな寺院だったが、天正中伊達勢の焼き討ちやその後幾度も火災に遭い、現在では釈迦堂だけになってしまった。太用寺の裏山の墓地には寛文・延宝期(1661~80)から幕末まで、この地方で盛行した藤樹学の信奉者の墓などがある。
木造釈迦如来立像(国指定重要美術品)
清凉寺式釈迦如来像。寄木作りの等身大像であり、三重の衣と同心円の衣紋、渦を巻いている縄目状の髪が特徴である。
住所:〒966-0005 福島県喜多方市岩月町大都字寺西
交通・アクセス:喜多方駅より徒歩1時間20分、自動車15分(国道121号宮中入り口信号機右折)
安勝寺
鬱蒼とした木立に囲まれた本堂が、土蔵造りという喜多方ならではの珍しい寺。明治13年(1880)の大火により旧本堂は焼失したのを、明治29年火災に強い土蔵造りの現在の本堂が建てられた。重厚感のある黒い瓦と白漆喰の壁の対比が美しい独特の風情を漂わせている。屋根の下に見られる獅子の彫刻も見事である。
住所:〒966-0861 福島県喜多方市字寺町4706
交通・アクセス:喜多方駅より車で3分徒歩15分
菅原神社
菅原道真公を祭神とし、天満神社ともいわれる。応永4年(1397)正月、地頭富田氏実が山城国北野から勧請したと伝えられている。又、境内の西続きの天満公園は大正15年昭和天皇の姉君照宮茂子内親王の御誕生を祝して菅原町内の人々の募金と労力奉仕によって造営したもので、公園として市民の憩いの場となっている。
住所:〒966-0852 福島県喜多方市字天満前8818
交通・アクセス:喜多方駅より車で2分徒歩8分
北宮諏方神社
祭神は建御名方神、八坂刀売命の二神。天授元年芦名直盛が信州諏訪よりこの地に勧請し、若松の諏訪社を南宮、弊社を北宮とした。その後芦名盛氏に至って天文7年社殿を造営し、永禄2年田1町歩を寄進して永世の祈願所とした。大祭は8月2・3日。お神輿の渡御と太鼓台(山車)が町内を巡行する。
住所:〒966-0896 福島県喜多方市字諏訪59
交通・アクセス:喜多方駅より車で3分徒歩15分
新宮熊野神社
新宮熊野神社は社伝によれば源頼義、義家親子が「前九年の役」天喜3年(1055)陸奥征討に赴いたとき、武運を祈って紀州熊野から熊野堂村(現在の河沼郡河東町)に勧請鎮座したのが始まりで、後に「後三年の役」で再びこの地を訪れた義家が、新宮の地に移すよう命じ、寛治3年(1089)完成といわれている。拝殿の長床をはじめ神殿本殿、文殊堂など重文級の社殿社宝を残す。
長床(国指定重要文化財)
長床は藤原時代の貴族の住宅建築としての寝殿造りの主殿の形式をふんだもの。熊野神社の拝殿として建てられたもので、44本の太い柱に芧葺寄棟造り、周りには壁も扉もない吹き抜けの壮大な建物。
住所:〒966-0923 福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
交通・アクセス:喜多方駅より車で10分
新宮城跡
中世期最初に会津を支配した佐原十郎義連の孫で、新宮六郎左衛門尉時連が建暦2年(1212年)に築いたといわれ、かなり大規模であった新宮城の、居館部分(本丸)が構築されたのは14世紀以降という調査もある。現在周辺一帯は農地となっており、跡地を示す石の標柱が残るばかりであるが、一部に内堀・本丸の土塁跡がみられる。
住所:〒966-0923 福島県喜多方市慶徳町新宮字新明道下
交通・アクセス:喜多方駅より車で10分
蔵の里
喜多方市はかつて「北方(きたかた)」と呼ばれ、江戸時代には物資の集散地として、また若松城下と米沢を結ぶ街道の町として栄えていた。蔵の里は喜多方市街地の西に位置し店蔵、蔵座敷、穀物蔵、味噌醸造蔵など7棟と、旧郷頭屋敷や旧肝煎屋敷の曲がり家を移築し、かつての町並みを再現している。
旧外島家住宅(県指定重要文化財)
慶徳組郷頭としての家格にあわせ、増改築の度に、修験(法印)による祈祷の証として、柱や束には祈祷札が現在も保存され残されている。福島県指定重要文化財。
旧手代木家住宅(県指定重要文化財)
下三宮村肝煎の家で独特の間取りや、主棟、曲がり棟は江戸時代の形態を現在に残している。福島県指定重要文化財。
旧東海林家酒造蔵
蓮沼門三の資料と、喜多方地方郷土資料を展示。
旧猪俣家穀物蔵
「福祉の母」といわれる瓜生岩子刀自の資料を展示している。
旧井上家穀物蔵
喜多方の染型紙(会津型)の資料が展示されている。
住所:〒966-0094 福島県喜多方市字押切2-109
交通・アクセス:喜多方駅より車で5分徒歩20分
出雲神社
社伝によると、天慶年間(938~47)に平将門の滅亡後、その与党がこの地に逃れて来て、山野を開き農桑の業に就いた。その後、66代一条天皇の正暦年中(990~95)陰陽師安倍清明が当国に下向し「この地は将来繁栄する地相である。国土開墾の神、出雲の神を総鎮守とすべし。」と勧めたとある。祭神は、大国主命、邇邇芸命(ニニギノミコト)。御神輿の渡御は本祭りに行われ、各町内で平安祈願をする。祭礼は8月10・11日で、宵祭りに1度、本祭りに2度の太鼓台(山車)が賑やかに巡行する。
住所:〒966-0062 福島県喜多方市字寺南2589
交通・アクセス: 喜多方郵便局より徒歩5分
糠塚古墳群(県指定史跡)
5世紀ごろの有力者のお墓(県指定史跡)。元は周囲にも小円墳が分布していたが戦後の開発により失われ、現存しているのは主墳の糠塚と粉(小)糠塚と山首神社の3基だけ。平成3年航空写真撮影をした結果、円墳だと理解されていたが方墳だと判明した。一辺約26m、高さ5.1m会津平坦地にある古墳の中で最も大きい。
住所:〒966-0002 福島県喜多方市岩月町宮津字宮地
交通・アクセス:喜多方駅より車で8分
中善寺
薬師堂にある木造薬師如来坐像は藤原文化の面影を伝える傑作で、国指定の重要文化財である。同寺に修理供養の納札があり「延慶三年(1310)忍阿上人中興」と書かれているが、開基は不詳。4月下旬に桜やツツジが見ごろとなり、本堂前の二本の夫婦カリンは樹齢250年と言われ、市の天然記念物に指定されている。
薬師如来坐像(国指定重要文化財)
本尊の薬師如来は、藤原仏の特色はよく伝えている。
住所:〒966-0011 福島県喜多方市関柴町関柴字赤坂
交通・アクセス:喜多方駅より車で12分
勝福寺
国重要文化財の和様三間堂があり、茅葺きの屋根が特徴。会津三十三観音の六番札所なっている。勝福寺の創建年代は明らかではないが、縁起では平安時代に遡るとされ、勝御前にまつわる伝説が残る。観音堂の中には、不動明王立像(鎌倉中期)と毘沙門天立像(鎌倉中期)が安置されており、本尊は座高約40〜cm程の十一面観音菩薩像で、ご本尊は「秘仏」として普段は公開されていない。
観音堂(国重要文化財)
昔、京より松島へ旅する「勝ノ前(すぐれのまえ)」という女人が病のためこの地に留まり療養したが亡くなった。後に尋ねた中将が嘆き悲しみ、その冥福を祈って観音堂を建立したと伝えられる。茅葺き、寄せ棟造りの建物で、和様の要素を多く持つ中世末期の貴重な仏堂(国重要文化財)である。盛時には、薬師堂はじめ十指に余る堂宇があったようだが、現在は観音堂と、仁王門を残すだけとなっている。
木造不動明王立像・木造毘沙門天立像(県指定重要文化財)
観音菩薩の脇侍は、毘沙門天と不動明王で、木造毘沙門天立像は、像高155cm余り、寄せ木造りで彩色がほどこされており、昭和30年に県の重要文化財に指定された。
銅鐘(県指定重要文化財)
観音堂は享禄2(1529)年に火事にあい、永禄年間(1558~69)に当時会津地方を治めていた戦国大名、蘆名盛氏・盛興父子により再建された。境内には、その時に寄進された梵鐘(県指定重文)が残る。
願成寺
会津大仏で知られる願成寺は、嘉禄3年(1227)浄土宗の開祖法然の高弟隆寛が開基し、多念義派の本山となっている。大仏殿の木造阿弥陀如来三尊像は鎌倉時代の作で、阿弥陀像の高さは2.41mあり、寄木造り、来迎相をとり、千体仏舟形光背で、脇侍の左は勢至菩薩、右は観音菩薩で大和座りで、三尊とも国指定重要文化財である。
住所:〒966-0931 福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833
交通・アクセス:喜多方駅より車で20分(バス 加納行き上三宮下車)
阿弥陀如来及両脇侍坐像(国指定重要文化財)
旧阿弥陀堂の本尊であり、現在は新設の大仏堂に安置される阿弥陀如来及両脇侍坐像は、「会津大仏」として広く親しまれている。『新編会津風土記』によると、この三尊は松山町にかつてあった来迎寺に安置されていたものであり、藩の命により延宝年間(1673-81)に願成寺へ移されたという。来迎寺の創建と三尊の造立にも、實成が関わったものと考えられる。阿弥陀如来像の男性的な造形は鎌倉時代前期の特徴がよく表れており、観音・勢至の両脇侍像がひざまずくなど、都の形式も取り入れている。東北地方における13世紀の本格的な阿弥陀三尊像として重要な存在である。
願成寺山門(県指定重要文化財)
元禄11年に竣工した楼門造りで、禅宗様と和様を混ぜた建築。柱間頭貫に施された色々な彫り物が珍しい。
願成寺本堂(県指定重要文化財)
寛文5年僧行誉が現在地に移した本堂。本尊は春日作の阿弥陀の坐像。
権現森公園
権現森公園は喜多方熊倉地区にある小さな公園である。新緑から紅葉までののどかな風景を一望できる。昭和51年、熊倉輪具地区で発掘された二基の古墳は輪具(わぐ)古墳群と呼ばれ、その一基がこの公園の中に移築復元されている。積石の竪穴石室がみつかり、中から鉄斧・管玉・ガラス玉・耳飾りが出土した。
住所:〒966-0021 福島県喜多方市字熊倉町都
交通・アクセス:喜多方駅より車で15分
歴史的道すじ(歴道)
歴史的みちすじ(歴道)は、蔵のまち並みを守り、住む人や訪れる人が喜多方の歴史素材に触れることのできる道空間として整備されている。蔵群や施設を沿道に擁する道は、来訪者の歩行優先道とするため石畳になっており、休憩のできるポケットスペースが各所に設置されている。